久しぶりにソマティクスワークショップを行います。

詳細はwww.somatics.jp をご覧ください。

今回はOne Dayワークショップで、肩こりや腰痛に徹底的にフォーカスし、ソマティクスの効果を実感していただけるようなプログラムにしたいと思っています。

ソマティクスに興味のある方はもちろんのこと、慢性的な肩こりや腰痛に悩んでいる方も是非起こしください。

お問い合わせお待ちしております。

瞑想というと、ほんの10年前までは、まだ「怪しい」とか宗教のイメージが強かったですね。1990年代は宗教団体の事件のインパクトも強かったですから。でも、今は、当たり前に(?)浸透してるみたいでびっくりです。

「瞑想はご利益を求めてするものじゃない」のでしょうが、私はついリラクゼーション目的に瞑想してしまいます。呼吸法もそうですが、筋肉が緩むんです。はっきりわかります。、「緩む」といってもダランとするのではなく、程よくリラックスするという意味です。それから瞑想すると、身体のどの部分に力が入っているかわかります。どこかが力んでいると、一定時間座っていることは難しいでしょう。力が入っているとわかったら、リラックスするようにしていきます。すると、だんだん身体全体の余計な力が抜けて、同じ姿勢で楽に座ることができるようになります。

私はこれで肩こりとかも治ってしまうのですが・・・。肩こりや腰痛などは、自分の日々の心がけ次第でかなり楽になります。ストレッチもそうですが、心もリラックスして一石二鳥です。あ、またご利益を期待している(笑)。

「死にたい」という方に、「それはあなたではなく、病気がそう思わせるんだよ」という風に諭すのは、援助者のマニュアルのようなものなのでしょうか。病院ではそのように伝えるよう教わりました。理由は知りませんでした。

最近やっと腑に落ちたことがあります。瞑想の時に、思考にとらわれないように、「思考をみるようにする」というやり方がありますが、死にたい方に「病気がそう思わせるんだよ」と伝えることも、当人にとって全く同じ効果があるのだと理解できました。「死にたい」というのは思考であり、その人の魂の声ではないはず。その思考は自分自身ではなく、単なる思考にすぎないのだから、とらわれてはいけないということなのですね。思考が自分自身ではないと気づいてもらうことで、その思考から少し離れることができるということでしょうか。

こんなところからも、思考にとらわれて、思考の中の住人になるよりも、魂の声をきくことの大切さがわかります。

最近、職場の同僚とセラピーの非日常性について話をしていました。

そこで、私はソマティクスの非日常性について話をしたいと思います。体の中には私たちの無意識がたくさん存在しています。機能的な体のはたらきは、ほとんど私たちの知らない間に起こっているので無意識です。知っているはずの思考や行動の多くも、実は無意識だったりします。その無意識を意識するのが、ソマティクスの非日常性です。ただ、身体の中で起こっていること、筋肉の動きや感覚(時には感情)に気づくには、通常の意識ではうまくいきません。リラックスしていてオープンで、且つマインドフル(自分を客観的にみれる意識の状態)にならなくてはなりません。その中で体験する自分の体、自分自身は、ある意味"非日常"と言えます。時間の感覚も変化します。

体の中で体験する非日常は、体が覚えてくれますので、日常の世界にもって帰れます。すべては自分の意識次第です。

カウンセリングで「自分の中のもうひとつの声」に気づくと、クライアントの方々の多くは「不思議な感覚」がすると言います。もうひとりの自分、本当の自分(true self)、インナーチャイルド、 魂の声、callingと様々な表現がありますが、なんだかどれも似たようなものを指しているのだと思います。

自分を振り返ると、そういえば、最近「心の声」を聞いてない・・・。以前はよく耳を澄ましたいた時期もあったのに、今は頭の中の雑音で一杯です。

この前ラジオを聴いていてはっとしました。ラジオは流れているけど、気づくと考え事をしていて、内容がさっぱり入ってこなかったのです。きっと、こんな無意識に考え事ばかりしていたら、自分の心の声なんて聞こえるはずがないとつくづく思いました。

心を静かにして自分の心の声に耳を澄ましてみようと思います。

最近、上岡陽江著大嶋栄子著「その後の不自由」という本を読みました。この本は依存症やボーダーラインパーソナリティについて非常にわかりやすく書いてあって、援助者の関わり方へのアドバイスもあり、とても興味深く、援助職についている方にとっては勇気が出るような本です。

その中で、ハルエさん(上岡陽江さん)が「援助者は自分自身の応援団をもっていることが大切」とおっしゃっています。「自分の応援団をもつ」ってなんてわかりやすい表現なのでしょう!私はこれを読んで、今の自分には応援団が必要なんだと、ひしひしと感じました。応援団...先生、セラピスト、スーパーバイザー、同僚、家族、友人とにかく自分のことをサポートしてくれる人と私は解釈しています。

私は日本で心理の仕事を始めてから、自分のオリエンテーションであるハコミコミュニティーからはなんとなく離れてしまい、最近になって、知らないうちに随分孤独を感じていることに気がつきました。でも、今、周囲を見渡すと、私の目の前からコミュニティーが消えたわけではなく、ハコミはもとより、ソマティクスや新しい仲間・グループもたくさんあって、私もそれらにつながっているとわかります。私自身がそのことに気づいていなかっただけかもしません。上岡さんと大嶋さんの本を読んで、また新しい応援団をつくることにわくわくし始めている今日この頃です。

 

落ち葉やどんぐりがたくさん落ちていました。拾うと子供の頃を思い出し懐かしい気持ちになりました。SBCA0101.JPG

金曜日は毎週午後からソマティクスを教えていますが、午前中は家にいます。今朝は和室で瞑想しようと、お線香を焚きました。その瞬間、ソノマにいた頃によく通っていた禅センターのひんやりとした空気を思い出しました。ソノマ禅センターはソノマ山の頂上にあります。ブドウ畑を車で抜けると、突然杉の木の並ぶ山奥になります。その先にひっそりとソノマ禅センターはあります。山奥のせいか、空気はいつもひんやりとしています。札幌の9月の空気と似ています。

和室でお線香をたきながら、ソノマの森の匂いを感じていました。本当に身体の中にはいろいろな記憶が保存されていますね。すると、なぜか私は部屋中をきれいに掃除したくなり、瞑想は早々に切り上禅センターのようなしーんとした雰囲気を家でも再現すべく、せっせと床磨きをしました。

援助職についているある方が次のようにおっしゃりました。自分は援助される側にはならないと信じていた。そして、健康な自分とそうではない患者さんを心のどこかで区別していたということでした。

自分自身が抱える悩みや問題に面と向かうことは勇気のいることです。援助する側が援助されることに抵抗を感じる気持ちもわかります。けれども、他人の心と深く関わる仕事につく場合は、一度は自分の内面とも向き合わなければなりません。なぜなら、自分が体験する苦しみや癒しは、個人的なものではなく、実は他の多くの人々と共有しているテーマだったりするからです。

私がハコミセラピーのトレーニングを受けている時には、トレーニングの大部分は自分自身のワークでした。また、現在コーディネーターとして携わっているSomatic Experienceというトラウマセラピートレーニングでも、受講者はスーパービジョンだけでなく、個人的にSEのセラピーを一定時間受けることが必須です。セラピストになる前に自分がクライアントになることは、スーパービジョンを受けることと同じくらい大切なことなのです。

自分の内面のワークには終わりはありません。また、そんなことしなくても生きていくことはできます。でも、自分をケアするほど、他人や社会・環境をケアすることができるはずです。

 

 

もう8月です。時間が過ぎるのがとても早いですね。

 

私は週に一度、ある施設でソマティクスのグループレッスンを行っています。そこのスタッフの方に「どうして心理の人が身体のことやっているのですか?」と尋ねられました。

そもそも私はアメリカまで心理学を学びに行きましたが、初めて大学で受講した授業がヨガ心理学でした。特別ヨガに興味があったわけでもないのに、その時レジストできる授業がそれしかなかったからです。アメリカの大学では(日本もそうかも?)人気のある授業はあっという間に満席になります。ヨガ心理学も人気授業の一つでしたが、一席だけ空いていたのです。それがソマティクスを始めるきっかけとなりました。何故なら、ヨガ心理学を教えていた先生が現在の私のソマティクスの師匠だからです。

カリフォルニア州ではソマティックサイコロジー(身体心理学)という分野が確立していて、いくつかの大学は専門にその分野を教えています。ソマティックサイコロジーは瞑想やヨガなど東洋の思想を取り入れながら、且つバイオフィードバックのように科学的な根拠に基づいています。宗教的な要素のみで成り立っているわけではありません。心理学を学ぶ上で身体の中の出来事は切っても切り離せないもので、私が身体について学ぶのは全く自然なことでした。

精神的な病は身体の病でもあるのです。そういう視点を持つことで、セラピーもトークセラピーとは違ったものになりますし、ボディワークですら、精神的な健康を維持するためのツールになりうるのかもしれません。